僕と妻・今日子との完全な意見の相違のひとつに、ペコリーノがある(この趣味の違いが7年経っても僕達の関係をピリッと新鮮で気持ちのいいものにさせている)。今日子と羊の間には、絶対に超えられないバリアがある。遠くからでも臭い(と彼女は言う)匂いをかぎつける。あの温和でとてもおいしい動物からなるすべてを嫌っている。リコッタチーズから炭火焼のスコッタディート(持つと指をやけどするほど熱いという意味)まで。唯一の例外は羊毛である。なぜなら羊毛は食べないからという理由にすぎない。
僕にとっては、羊の乳で作る熟成されたチーズ、ローマオリジナルのペコリーノは、イタリアの最もおいしいチーズ、さらに世界でも最もおいしいと思うチーズである。よく熟れて汁のしたたるデカーノ(洋ナシの一種)と少しずつかじるペコリーノ、薪のオーブンで焼いた自家製パン、一緒に持ってきた赤ワイン、1年間乾燥させた薪がパチパチとよく燃える暖炉の火の前で食べるそれらは、ほとんど神秘的なエクスタシーすら与えてくれる。
もし食欲不振で困っているなら(信じられないけど、世の中にはこんなおそろしい不幸で困っている人がいるのだ)、今日も食欲がない、何もほしくないとため息をつく前に、ちょっとひとかじり試してみてほしい。ほんとに一口、切ったばかりのペコリーノ・ロマーノを。するとすぐに胃にエンジンがかかり、一口のはずが、もう一口、もう一口…、食欲不振にさようなら、となるに違いない。
ペコリーノは僕と同じで、ずっとずっと昔にローマで生まれた。ローマの詩人ヴィルジリオが書いたように、栄光ある古代ローマ帝国の兵士達は、1日に1人27グラム、規則的にペコリーノを与えられていた。カルシウム、リン、ビタミンとプロテインが豊富で、ジュリアス・シーザーやその後継者たちから兵隊に気力を与える「ドーピング」のように見なされていた。
今日子に言わせれば 、たぶんローマ兵たちは、ペコリーノから発散する悪臭で敵の軍隊を撤退させていたのではとなる(あながち冗談とも言えないか)。
カルロマーニョ、8世紀後半にヨーロッパを支配していた皇帝は、始終、彼の広大なローマ帝国を旅していた。彼はいつも最小の荷物で旅をしていたにもかかわらず、ペコリーノを持ち忘れることは絶対になかったという。パンとペコリーノは支配者の唯一の食べ物だった。彼の伝記作者エジナルドは、ある司教がはじめて皇帝カルマニョーリにペコリーノを食べさせた日のことを記している。それによるとこの金曜日(キリストの死を敬い、肉を食べない日)は皇帝のもっとも幸せな日となった。最初の一口を食べて、皇帝は吐きそうになったと言う。彼はチーズを食べたことがなく、どこがどうなっているのかわからなかった。そう、硬い皮の部分を食べてしまったのだ。もう少しのところでかわいそうな司教を打ち首にするところだった。しかし、ようやく身の部分を食べた途端、怒りの叫びは喜びの叫びに変わったそうだ。
ローマ周辺を囲む穏やかな牧場が広がる丘陵は、何千年もの間、牧羊に最適な土地だった。しかし今では、首都の拡大、産業化、都市化などで、牧場はどんどん小さくなってしまった。今日、DOPのついたペコリーノ・ロマーノの生産の90%はサルデニア産で、戦後、ある種の独占状態になっている。2千年前のローマの有名な美食家モデラート・コルメッリによって書かれた「DE RE RUSTICA」、現代イタリア語で「LA VITA DI CAMPAGNA」(田舎の生活)のレシピ通りに、今もローマ近郊で作られているにもかかわらず。
コルメッリは彼の詳細な論文に断言している。 「このタイプのチーズは海の向こうを越えて広まるだろう」 そのとおり、今日でも一度熟成されたペコリーノは、特別な添加物を加えなくてもどこにでも送ることができる。多分それもあって、ペコリーノはイタリアで一番輸出の多いチーズなのだろう。そう、あの有名な彼のいとこのパルミジャーノよりも。
古代ローマ時代の種類の羊はもうあまり残っていない(ラツィオ州だけで約1,500頭)。WWFとヨーロッパ共同体が絶滅しないよう保護を呼びかけている。現在では、50年前までローマで食されていたペコリーノはほとんどなくなっている。でも、羊飼いのマウロ・デルフィーニに会いに、ローマのラッコルド・アンヌラーレ(ローマ市の外側を1周している道路)にはさまれた牧草地に行ってみる価値はあると思う。数少なくなった「ソプラヴィッサーネ」(この種類の羊の名前)を今でも放牧している。彼のところでは、まるでタイムマシンで昔に戻ったような気分になる。彼の600頭のソプラヴィッサーネから作られた感動的なペコリーノを味見できるだろう。驚くほど味が深く、脂肪分が豊富で、特別な乾し酵素、カゼインによってペコリーノ特有の淡い黄色をだしている。本物のペコリーノを一切れ切ってみると、切口からしずくが浮きでる(脂肪分の多い乳なので、切った時に脂肪が浮き出る)。これを古代ローマ人も、そして現在でも「涙」と呼んで、本当のローマのものとされている。
ペコリーノはイタリア国内で、シチリアからアルプスまで少なくとも30の州で製造されている。僕に言わせれば、その中で抜きん出ておいしいのはラツィオ州とウンブリア州だ。この2州のものも、昔の製法でソプラヴィッサーネの乳から作られている。一世紀頃の有名な書物「STORIA NATURALE」(自然の歴史)に、老人ジア・プリーニオが、ローマでよく知られているチーズの話をするくだりがあり、ウンブリアのペコリーノのことを例に挙げている。
僕が子供の頃の思い出で忘れられないものがある。城壁の外の遠足というのがあった(ローマの城壁の外は今と違いすぐに田舎だった)。祖父と一緒にパスクワ(復活祭)の月曜日にトラムに乗って行くものだった。友人の農家のうちに行って、採りたてのソラマメとペコリーノをたらふく食べるのだ。
「これが彼の死だね」と祖父はよく幸せのため息をついたものだ。ペコリーノは収穫したばかりのソラマメと一緒に食べなければならない、と言っていたのだ。
他にもペコリーノと相性のよい「死」はたくさんある。試してみてほしい。例えばパスタ・アマトリチャーナやカルボナーラに入れるパルミジャーノをペコリーノに変えてみる。すると、なんて奥の深い味わいに変わるのだろう。この違いがわかってもらえるだろうか。なぜこれらのパスタがこれだけ国民に愛されているかよくわかる。
ペコリーノと洋ナシ、もう言ったけど、古い言いまわしを書いておきたい。「農民はどれだけ洋ナシとペコリーノがおいしいか知ってはいけない」そうしないと、全て彼らが食べてしまって街の市場には並ばないだろう、という意味だ。
誰かがペコリーノは「貧民のヴァイアグラだ」と言っていた。おいしいペコリーノはだいたい1キロ160ユーロ前後である。実際に多くのローマ人は、逢引きの前にたっぷり切ったペコリーノを食べることにしている。彼らは本当に効き目があると納得しているのだ。まあ、たぶんペコリーノ「涙」をたっぷり食べるいい訳かもしれないけど。「食べた後念入りに歯を磨いてよく口をゆすげばいいんだけどね、そうしないと"涙"は女性の方に移ってしまうよ」という辛辣なコメントのをしたのは誰かって?他でもない、今日子でした。 |