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森の書斎から 〜 Silvio's Words
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Silvio's Words
 
パパラッチ 2
2006年1月4日(水)   

3 ペッピネッロと王様

パパラッチの歴史の中で、もし前出のマルチェッロ・ゲッペッティより以前にも、さらに大胆不敵な手段をとるパパラッチがいたことが世間に知られていたら、もしかしたらパパラッチの“性質”はより明確に世間に知れ渡っていたかもしれない。

パパラッチ・ペッピネッロの仕事仲間に対する“おふざけ”は仲間内では有名だった。ペッピネッロは著名な芸術家やスポーツのチャンピオン選手のように、“ペッピネッロ”という下の名だけで通っており、その素性を知るものはいなかった。

彼の抜け目のない悪知恵と「同業をあざむく」手段は、1946年の春におこった事件でイタリア中に知れ渡った。

他のパパラッチと同じように、ペッピネッロはサボイア家のウンベルト2世国王の演説を撮るために準備していた。この時彼の父ビットリオ・エマヌエレ3世前国王は、イタリア国民の国民投票の結果国外追放となってポルトガルに亡命していた。後にウンベルト2世国王も追放されたため、これが最初で最後の演説となったのである。

演説は午後3時からはじまることになっており、それが新聞の締め切りに間に合うかどうかというギリギリの状態だった。各紙とも王がバルコニーにでている写真を載せようと一面を大きくあけて待っていた。

演説場所のバルコニーはあのローマのクイリナーレである。同名の広場の中にある王宮には、カストルとポリュデウケス(ゼウスとレダの子供)、その隣に巨大な馬の彫刻がある泉で知られている。

ペッピネッロは彼の最も優秀で、そしてただ一人の助手である奥さんを連れていた。ペッピネッロにとって、妻だけが唯一信頼のおける人物であったのだ。細心の注意を払って必要な装備一式をそろえる。装備とは、1本10メートルはある10本の長い紐と、開け閉めの簡単なバッグ1つ、10メートルはあるはしごを一本。広場に着いた時には、すでにちらほらと混雑しはじめている状態であった。ペッピネッロは2頭のうちの1頭の馬の彫刻にはしごをかけ、カメラ道具一式の入ったバッグを握りしめ、ポケットに紐を入れて馬の足の下に登った。ここはバルコニーが完璧に見渡せる位置で、国王の様子も下の広場の様子もよくわかる。ペッピネッロの奥さんは、落ち着いて馬の下に残っている。

この一部始終は、もちろん他のパパラッチたちの目に写っていた。皆一様に、「またしてもペッピネッロはうまいことやった」と思った。しかしもうはしごを取りに戻っている時間はない。断られるとわかっていても、パパラッチの一人はおそるおそる、ペッピネッロに自分もはしごを借りて上にあがっていいかと聞いてみた。「もちろんだよ。スペースがある限り、だれでも登ってきていいよ」意外な返事がかえってきた。一人のぼり、又一人、あっというまにパパラッチ全員が上まで登って場所を確保した。

広場には「国王陛下万歳」という叫びとともに民衆でいっぱいになっていた。そしてついに国王がバルコニーに現れる。彼の大演説が始まり、パパラッチ達は一斉にシャッターを切り始める。皆、今回はめずらしくペッピネッロは公平だな、と思いつつ。しかしその考えはやはり甘かった。またしても、ペッピネッロに出し抜かれる形になってしまったのだ。彼はフィルム(この頃にはRolleiの1本6x6の12撮りが使われていた)が終わるたびに、1本1本用意しておいた紐にむすびつけて、下にいる奥さんが持つバッグに落として行く。まだ演説が終わらないうちに、3本目か4本目のフィルムを終えたペッピネッロは奥さんに目で合図をする。彼女は持っていたフィルム入りバッグを閉めると、はしごを持って一目散に去って行った。ペッピネッロとその他のパパラッチたちを、10メートルはある馬の銅像に残して。

まんまと罠にかかったパパラッチ達のわめき声を想像できるだろうか。彼らがようやく消防隊のはしご車で下に降りた頃には、奥さんはすでに抜け目のない自分の夫の撮った写真のネガを現像して、高額な値段で独占写真として売りさばいた後だった。



4 皆フェリーニの息子達だった

さて、昔の神話は終わりにして、パパラッチの時代に突入しよう。パパラッチと呼ばれるカメラマンは、50年代にローマの「甘い生活」から生まれた。パパラッチはフェリーニの大傑作映画「甘い生活」の時代の主役であり、生き証人でもあった。フェリーニが実際に映画を撮り始めた頃にはすでに現実としてパパラッチは存在し、フェリーニは映画のストーリーの羽の部分として彼らに重要な役割りを与えていた。

パパラッチはメディア界のジプシーとも言える存在だった。主人や雇い主もいなく自身の作品を売り歩き、住む家もなく車の座席や橋の下を寝床にする、サメがうまいごちそうが落ちてきやしないかと船のまわりを徘徊するように、VIPたちの周辺をうろつく。

フェリーニは、「パパラッチはイタリアのメディア界にとって真のフリーランスと言えよう」と話している。「彼らには雇い主がいないし、欲しいとも思っていない。なぜなら彼らは、どんなに飢えていようとも、誰とも自分のスクープの報酬を分け合おうとしない。さらに、被写体に対して自由な立場にいられることを望んでいる。被写体としがらみや友人関係、親戚関係などを持ち、それらの影響を受けたくないのだ。

パパラッチと言う名前もどこから生まれた言葉か正確にはわからない。長いことこのおかしな名前の由来を様々な人が解明しようと試みたが、誰にもわからなかった。ある人は、“噛み付いて逃げる”という意味のローマ弁で“scappa a razzo”(スカッパ ア ラッツォ)という言葉からきているという。「シャッターを押した直後にロケットのようなすばやさで逃げて行く」という意味である。

他にも、フェリーニが映画「甘い生活」の撮影中にこの名前を考えついたという人もいる。又は「パッパターチェオ」という名のハエの仲間で、追い払っても追い払ってもまとわりつき、刺されると痛い虫の名前からきているとも言われている。

つづく

シルヴィオ・ピエルサンティ
訳、朝田今日子


   

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