ここ最近、午前中森を抜けて村の新聞屋に行く時(*イタリアには新聞配達はない)、いちばん目につく色がある。すみれと野生のシクラメンの赤紫色だ。樫の木の下に生えるこれらの花を踏まないように気をつけなければならない。 「野を通る時、気がつかないで紫色を踏むと神さまがお怒りになるような気がする」 こう言ったのは、Alice Walker著の「The Color purple」にでてくる主人公 Shug Averyだ。スピルバーグ監督が映画化もしている作品である。
紫は、うす紫(ライラック色)、ピンクがかった紫(ゼニアオイ色)、青紫(アイボリー)など様々な色がある。ウンブリアの丘の紫は、春が訪れたことを表す。 新聞を買いに行った帰り、紫の話を思いつく。色の歴史を考えていたら、紫が特別面白かった。古代ローマでは、紫は権力の象徴で、ローマ皇帝の色だった。イギリスのヴィクトリア女王もそうだった。1862年、ロンドンで戴冠式を行なった時も女王は紫色の服を身につけていた。すぐにナポレオン三世の妻、エウジェニア皇后、司祭や法王らも真似をした。 紫色の布は、すでにフェニキア人が作っており、その後ギリシャ人、エトルリア人、古代ローマ人へと続いていく。しかし何世紀も経つうちに、染色の技術を残すのは難しくなった。時間はかかるし、なんと言っても不快きわまりない。その方法とは、数えきれないほど大量の海の軟体動物(タコ、貝類の中身など)を煮立たせ、そこから粘液を取り出すのだ。もう一つは、人間の尿とコウモリの糞を地衣類に漬けて染色する方法だ。1986年復活祭の日、ちょうど今から150年前、イギリス人科学者 ウィリアム・パーキンは、偶然の失敗から紫色を薬品で作り出す方法をあみ出した。わずか18歳だった彼は、キニーネを使って炭からタールを取り出そうとしていた。しかし実験は失敗に終わり、蒸留器には黒っぽい粘着質のものが残った。蒸留器を洗浄しようとアルコールを少々入れると、その液体はたちまち美しい紫色に変化したという。パーキンはこの発明で特許を得、あっと言う間に大金持ちになった。しかしお金は俳優たちからは届かない。どういうわけか、彼らの間では紫は不幸を呼ぶ色だったそう。お金は新聞社から届いたのだった。
僕のすみれとシクラメンの花の咲く森の散歩も終わった。どんな紫色を見ても、感嘆することを忘れないようにしよう。でないと神様がお怒りになるからね。
2006.4.20 著者:シルヴィオ・ピエルサンティ 訳:朝田今日子
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