トスコラーノの栗祭りは世間の“買え買え攻撃”から距離をおいている。世間の購入意欲は、まるで大蛇が腹一杯食べた後、それでも獲物を食べようとして喉を通らない状態と似ている。これでもかと口に入れるが、もはや味などわからないのと同じように、なんでも良いから何か買わないと気が済まない人が多い。だから、同じ日に行なわれる別の村の栗祭りの方が、トスコラーノに比べると大賑わいなのだ。
この世間の風潮とはちょっと違った栗祭りの主催者は、この村で生まれ、この村で育ったフランコ・ヴェントゥーリ氏である。「僕はこのトスコラーノの昔と変わらない、自分たちの祭りを誇りにしているんだ」とフランコは言う。「コンセプトはシンプルで濁りのないもの。この村の人々のようにね。村の住人は皆この祭りを無償で支えている。それぞれが空いた時間を使って準備する。入った収入は、次の年の祭りや村のサッカー場やテニスコート、周辺の森の維持費や教会の修復費用に使われる。こうしてグローバル経済から身を守っている。毎年、区役所は区の所有である栗の森での収穫を住民に許可し、彼らは約5千キロの栗を収穫する。それをほとんどは商店に売り、残った約200キロを祭り用に使う。今年は270の商店から予約を受け、残の多くの商店はお断りしなければならなかった。イタリア中にお客さんがいるけれど、断ったお客さんは来年の分を予約しているくらいだよ」
話を聞いている間、フランコは時々中断して横で昼食を手伝う奥さんと娘と会話をする。多くのお客さんはおかわりを頼む(2杯食べても値段はかわらない)。昼食を食べる人々は盛り上がっておいしい料理と心地良さを満喫している。老夫婦は若い頃の話で盛り上がり、子供たちは聞き飽きて料理を運ぶウエイトレスの横を走り回る。
料理をするのは約10人の村の女性で、栗のローストをする人達も合わせると、全部で30人くらいがボランティアで働いているそうだ。 この祭りの準備には少なくとも2ヶ月を要する。昼食の他に、たくさんのおいしい栗の生菓子を作る。昼食の予約に間に合わなかった人でも、午後から来てこのおいしい生菓子や、1ユーロ50セントで赤ワイン一杯と栗のロースト一袋を食べることができる。他に名物のその場で揚げたフォカッチャに砂糖を振りかけたお菓子もある。
こんな地図にも載っていないような小さな村で、幸せでいるのはそう難しくないことのような気がする。そして夜帰宅してからテレビをつけると、世間では恐ろしい事件のニュースが絶えない。トスコラーノが同じ世の中にあるとは思えないような気分になる。もしかして夢だったのかしらと、また来年の栗祭りを楽しみに1年を過ごすのである。
シルヴィオ・ピエルサンティ
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